Where The Streets Have No Name
少し、長い文章を書こうと思う。何を書くか決めていないけど、何年か先の自分が読んで、「あ、面白っ」って思えるものでありたい。
昔の自分の書いたもの
昔から、多分中学生頃から文章を書くのが好き(というか、嫌いじゃない)で、昔書いたノートとか、インターネット上に存在してる文章とか、色んなものが残ってる。他の人が閲覧できるものもあれば、自分しか見れないもの、自分ですら見れなくなってしまったものもある。
例えば、最近読み返して面白かったのがこれ。
ずっと昔から、心の中で考え続けている事があった。
それは、どうにも消えない事の様で、時間と共により明確に強く思えるようになっていった。そういう事は、少しずつ現実化していく。形を得て出現する。
どうして信じられたのかは分からないし、途中でやめなかったのも不思議だけど、何故かいつも確信めいたものがあった。恐らく、これから先、より明確な形を持って僕の前に現れる。何故かは分からないけど、今も確信がある。
これを書いてたのが2015年の3月だった。
僕が、「自分のバンドをやりたいな」って思い始めたのが2013年頃で、1人目のメンバーと出会えたのが2015年の7月。4人そろったのが2016年の7月。音源を録り始めたのが2017年からで、2018年に一応「1stアルバム」って言える音源が録り終わった。
それをこの前、メンバー2人にCDに焼いて渡したら喜んでくれた(事情により1名は欠席)。
長いこと掛かってるけど、当時のことを思い出すと、全く根拠は無いんだけど「絶対メンバー集まるし、絶対曲できる」って思ってた。それで、「もう1人でやるかなー」って思ってた頃に1人目と出会った感じ。
ドラマーもそう。僕と、ギター、ベースの3人まではすぐに決まったのだけど、ドラマーだけ全然決まらず、3人体制から1年位経ってやっと4人体制になった。
その時も全く根拠なく「絶対ドラマー来る」って思ってたし、「もう、3人でやるか」って思った頃に4人目が決まった。
ちなみに、スタジオに入った時の音は全部録音して取ってある。WAVファイルだから結構容量大きくて、全部で82GBあった。でも、宝物だ。さっき、2016年の録音を聞いてて、会話に自分で笑った。
Lightって曲があるのだけど、結構長くてみんな構成を忘れがちだから、「Cメロ削らない?」って、Cメロ付けた僕が発言してて、それに対して「曲忘れるから構成変えるのは違くない??」って反論が来るって言う。
それで、思った。
「根拠ないけど堂々と語ってるの面白いな」って。
根拠あって堂々と語ってたら、「なるほど」って思うだけなんだけど、何も無いのに語ってたら超面白い。「何だコイツ」ってなる。
それって、多少マイナスの意味も含まれちゃうけど、その分プラスも大きい。「面白い」って思われるには、ある程度「何だコイツ」って思われないといけない。
むしろ、全く「何だコイツ」って思われてないとしたら、面白さも伝わってない。
そういう意味では、5年前の自分の方が面白さは上だ。だって、自分で今「何だコイツ」って思ってるし。でも、「面白いなコイツ」とも思う。抱き合わせ。
段々複雑になる
漫画「ピンポン」の中でスマイルが「段々複雑になっていくんだ」って言っていて。
最近、というかここ数年思ってる。何でこんな複雑になっていくんだろう。
昔の自分の文章を読んでいると、少し恥ずかしく思える部分も多いけど、「良いなあ」って思える部分も多い。抱き合わせなんだと思う。その良い所と悪い所を削って、今の自分になってるとしたら勿体ないなって思った。
もっと、素直さが欲しい。思い出したい。本当はもっと、色んなことがシンプルなはずで、自分でそれを複雑にしているのだと思う。
考えなきゃいけないことが多いのか。
考えなきゃいけないことが多いって、感じてるのか。
「あちらを立てればこちらが立たず」なんて言葉があるけれど、もしかしたら全方位、全部立てようとしてたのかもしれない。
それで疲れて、「圧倒的にすべてが面倒くさい」って思ってたのかも。
いい加減、どこかを立てるのを止めよう。
「こちらを立てて、他は全部立ってないけどまあ、別に良いか」位に考えておかないと、頭が追いつかなくなる。
Where The Streets Have No Name
U2のカバー。最ッ高に良い。投稿13年前で、いつの音源化分からないけれど、「やっぱVanessa Carlton最高やな」って思った。少し前にスッキリにリモート出演してた。
高校生の頃から大好きで、色んな音楽聴いて尚、歌い手として一番好きなのはこの人だなあと。改めて。歌声が光の粒みたい。
最近のアルバムは自分の趣味とは違う方向に突き抜けてしまっているけど、それでも良い。彼女が音楽やっててくれることで、勇気を貰える自分がいる。
コード進行
あと、最近「コード進行」と言うのを始めて勉強してみたけど、「やっぱりやめよう!」って思った。
今まで沢山曲作ってきたけど、何となく直感的に「コード進行は覚えない方が良いのでは?」っていう疑念があった。それで、コードの概念だけ覚えて、あとは直感的に好きな響きを選んで、後でその響きをコードに直すって言うやり方をしてきてた。
コード進行覚えると、覚えた進行に縛られがちになって、或いは意識的にずらそうとしてしまったり。本当はシンプルで良いのに、敢えて複雑にしてしまうってこともあると思う。
これって、多分普通の仕事とかなら全然ありな考え方で、先に型を覚えてしまうって言うのは必要かもしれない。けど、創作ってなると違うのかも。型を作るとしたら、自分の好きを集めたものが型であるべきで、一般的な何か、みたいなのはむしろ邪魔になるかもしれない。
何だコイツ
今日、自分で書いてて一番「おっ」って思ったのが、「何だコイツ」ってワード。
「嫌われる勇気」って本があったけど、「嫌われる」ってワードはちょっとイメージが悪い。なんか、積極的に嫌がらせとかしてそう。
「何だコイツ」は、表現としてしっくりくる。「何だコイツ(冷笑)」なのか、「何だコイツ(すげえ)」なのか分からないけれど、とにかく何かしらのインパクトは与えられてる。そういう感じでいたい。
多分、自分の性格的に、平均的な人よりも石橋を叩く量が多い気がする。何かやった時に、良くも悪くも引っかかりが無い。
だから、多少悪い意味で引っかかる人が増えるのを覚悟で、もう少し何だコイツ感を出していきたい。2021年は、「何だコイツ」とか、「アイツ変わってんなあ」ってもっと言われるようにしていく。
それでは!