雨音が聞こえる。

日記と雑記。

雑記(8月から10月のこと)

 思ったことを書いていく回。

 前回雑記をつらつらと書いていたのが8月の後半で、2ヶ月近く経った。

 考えてることは変わってないけど、気持ちは良い方向に向かっている感じがする。

 

祖母のこと

 この2か月間で一番大きな出来事と言えば、祖母が亡くなったこと。札幌市外の、少し離れた病院にずっと入院していたのだけど、そろそろ危ないという事で札幌の実家に来ていた。僕も戻って最後1週間くらいは一緒に過ごしてた。

 認知症とがんで、色んなことを覚えられなくなってしまっていたけど、札幌に来た最初の日、数年ぶりに顔を見せたらちゃんと僕と分かって、すごく喜んでいた。握った手の力が80才を過ぎた、ほとんど寝たきりの人とは思えないくらい強かった。

 

 その翌日には少し強めの投薬が始まって、あまり起きてることもなくなって、段々反応も薄くなっていって、最後は本当に眠るようだったという。 

 新型コロナウィルスの影響で、入院していても全然お見舞いにすら行けなかった状況だったけど、最後は家族と一緒に居られて良かったと思った。身体は苦しかったかもしれないけど、母が最期の最後までずっと手を握って一緒にいた。

 

 それから、親戚が実家に集まってきたり、東京にいる妹も戻ってきたり、葬儀の手配をして、地方でやるからと少し遠出して、色々あって、今は自分の家に戻ってきてる。

 うちの祖母は、若い頃に旦那さん(僕からするとおじいちゃん)を亡くしていて、子供3人いるのを一人で育ててた。ものすごい働いたらしい。

 それで、「沢山働けて良かった、何一つ後悔ない」って寝たきりになってから言えるのは、本当すごいことだ。

 

 そういえば、コロナのワクチン1回目を9月に打ったのだけど、左腕が全く動かなくなるっていう、かなりレアケースな副反応が出て、色々考えた結果2回目は止めることにした。もう左腕には打たないで、と病院の先生に言われていて、右腕動かなくなったら困るよなあ、という事で。今はもう左腕もしっかり動いてるから良かったけど。

 

 よく、「腕が重くて上がらない」っていう話は聞いてたけど、自分の場合は「脳から送った信号が届いてない」って感じに、全く反応しないで、腕がぷらーんとしていた。

 2日間全く動かない状態が続いた時に、色々調べて、多分神経障害っぽいけど、これが全身に広がったらどうしよう、とか、最悪死ぬかもしれないな、とか色々考えた。

 

 それがあったから、祖母の話を聞いた時に、「自分はあの時、色んな後悔が浮かんだな」って思って、これから生きていくうえで後悔しないようにしたいって、結構強く思った。

 祖母が札幌に来て、しっかりと意識があったのは最初の1日目だけだった。その最初の1日目に、顔を見せて、握手して、話が出来て良かった。最後に話した言葉は、「やりたいことあるなら、やった方が良いよ」だった。

 

音楽のこと

 あとは、昨日君島大空さんがインスタライブをしていた。

 10月18日、赤い公園津野米咲さんの命日。「夜の公園」と「pray」を弾き語りして、終わったかな、と思ったら第2部が始まり。過去最高かもって位に良いインスタライブだった。

 その中で、「最近思うのは、好きな人たち、僕が友達だと思ってる人たちに思うのは、生きててくれればそれだけでいいなって。それだけになっちゃったなあって」「今日も生きてるだけで素晴らしい、明日も生きよう」って、そんなことを話していて。

 

 それを聞きながら、「何故歌うんだろう?」ってことに、またひとつ答えが加わった感じがした。

 僕は、今年の何処かのタイミングで「音楽は死ぬまで続けよう」って決めた。とりあえず、続けることだけをまず決めて、後どうするかは今も考えてる。

 今まで、音楽自体すっぱりと止めようかって思ったことは何度かあって、それは、自分の生活とのバランスが取れなくなるのが分かってしまったからで。

 ただ、今年のどのタイミングだったか分からないけど、もしかしたらこの2ヵ月なのかもしれない。「石と砂の話」が頭にずっとあった。結構有名な話だけど、引用しておく。

  

「さあ、クイズの時間だ!」

大学教授は、そう言って大きな壺を取り出し、教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ石を詰めた。壺が一杯になるまで石を詰めて、彼は学生に聞いた。

「この壺は満杯か?」

教室中の学生が「はい」と答えた。

「本当に?」

そう言いながら教授は、教壇の下からバケツ一杯の砂利を取り出した。そして砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、石と石の間を砂利で埋めていく。

そしてもう一度聞いた。

「この壺は満杯か?」

学生は答えられない。一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。それを石と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。

「この壺はこれで一杯になったのか?」

学生は声を揃えて、「いいや」と答えた。教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。

「僕が何を言いたいのかわかるだろうか?」

一人の学生が手を挙げた。

「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」

「それは違う。」と教授は言った。

「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、大きな石を先に入れない限り、それが入る余地はその後二度とないということなんだ。」

君たちの人生にとって”大きな石”とは何だろう、と教授は話し始める。

「それは、仕事であったり、志であったり、自分の夢であったり……」

「ここで言う“大きな石”とは、君たちにとって一番大事なものだ。それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失う事になる。もし君たちが小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしたならば、君達の人生は重要でない何かに満たされたものになるだろう。」

「そして大きな石、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果、それ自体を失うだろう。」

 

 青の数学、って小説がある。僕が今まで読んだ中で一番好きな小説の一つで、一番読み返した小説でもある。

 主人公は「数学は、やり続けるに値する暇潰しか?」という問いを持って物語が進む。物語の最後には、それにはっきりとした答えを持つことになる。

 

 「音楽家とは、職業ではなく生き方のことです」とは、People In The Box波多野さんの言葉。

 左腕が動かなくなって、「もしかしたら最悪死ぬかもな」って思った時に、最初に考えたのは「入院することになったら、曲作れるようにノートPC買わないと」だった。

 もっと他に、親孝行したいとか、誰かに謝りたいとか、そう言うのは無いのかよって自分でも思うけど、そう言うのは後から出てきてた。自分で思ってる以上に、音楽に対する比重は重いのかって。なら、続けることだけまず決めて、他のことはその後に考えようって思った。

 落ち着いて考えると、やっぱり他にも色々大事なことあるなって今は思うけれど。咄嗟の時ってそうならないだって思った。

 

 それで何か変わったかと言うと、そんなには変わっていなくて。 

 仕事変わらず続けていて、生活にも変化はないけど、歌うのが少し楽になった。

 今後、色んな目標とかが出来るのかもしれないし、出来ないかもしれないけど、生き方として、音楽を続けていくことは一つの目標だ。だから、ワンコーラスでも、カバーでも、自分が「何か少し良いかも」って思える位で全然良い。

 

 漫画「岳」の中で、主人公の三歩が「山頂も山だけど、途中も山だよ」って、ニコニコ歩いていて、そうだよなって思う。

 

 あと、もう一つ。歌うこと、演奏することは誰かを世界につなぎとめることが出来る。例えこの世からいなくなっても、歌い繋げられることで、ずっと生きていく。例えば、フジファブリック志村正彦さんみたいに。

 

 Twitterでは、音楽を通じて仲良くなれた人たちが何人もいる。大体みんな、離れたところで暮らしているけど。

 弾き語りとか、カバーの動画を公開する時、何となく湖面に石を投げ込むようなイメージがある。初めは一人で石を投げ続けていても、その内一人二人と、一緒に石を投げてくれる人が現れるんじゃないかな、とか。

 

人のこと

 あとは、やっぱり「人の集団が苦手だな」って思った。嫌い、ではなく苦手。

 お葬式の時にはっきり自覚した。人が沢山いると、その人の波長と言うか、雰囲気と言うか、そういうのに影響を受けて、自分が乱される感じがする。

 今まで文章書いてきたのも、「伝えたい」ではなくて、「自分を整えたい」って言う気持ちが大きかった。だから、ブログにも色々書いているけれど、手書きのノートにはそれ以上に沢山書いている。

 

 そして、それは音楽に対しても同じだなって。

 今、ちょっと休止しているけれど、「Calm In Rain」という名前のバンドをやっていて、バンド名に「Calm」という単語は絶対入れたいと思ってた。

 いつも、心の平穏と言うか、「凪」の状態を目指している。少しの上がり下がりでも、結構疲れてしまうから。

 

 最近弾き語りとかカバーしていても、ずっとそれを意識してる感じがする。とにかく、気持ちをお腹の底まで落として、止めたい。留めたい。それが自分の中にある、根源的な欲求だと思う。

 

 だから、音楽で感情を動かすって言うのは、苦手なのかもしれない。だけど、People In The Boxは、自分の思う先をやっている。あれほどニュートラルな心持のまま、感情にもアタックしてくる音楽も無いだろう。

 

 何か、自分もそういう事が出来たらと思う。

 気持ちはお腹の底に落としてブラさないのに、音楽は何故かとめどなく感情を揺さぶってくるような。

 

 

 と、長々書いてしまった。もう深夜2時。しっかり寝ないと。

 それでは!