雨音が聞こえる。

日記と雑記。

【雑記】「ふざけんな」って思いながら。

f:id:noame:20200918005753j:plain

 最近思ったことなど。

  俳優の三浦春馬さんが亡くなった。自殺らしい。職場で同僚の人から聞いて、信じられなかった。最近、意識的にニュースとかSNSをあまり見ないようにしてたから、情報が遅くなってる。

 有名人の自殺のニュース、覚えているだけでも結構ある。リンキンパークのチェスター、元KARAのHara、この前は木村花さんって方が。

 最近、ブログもツイッターも全然書いてなくて、でも、やっぱり言葉を発しないといけないと思った。私が無関心を装っても、世界は私に無関心でいてくれない。それなら、向き合って、何か少しでも心が温かくなるような。吹き荒れる嵐の中で、凪をもたらせるような。光を灯せるような。そういう物を残したいと思った。

 

 最近、「心の中で元気に走り回ってる自分」が少しずつ、走るのをやめていることに気付いた。最近気づいたけど、きっと何年も前から。

 それを、「大人になること」って言い聞かせようとしてたけど、どうにも納得がいかない。本当はもっと走りたいはずだって。

 でも、頑張ってる人を見ても、楽しそうな人を見ても、辛そうな人を見ても、自殺のニュースを聞いても、一向にその自分は反応しない。「私は私。関係ない」って。確かにそうだけど。それで良いの?

 

 その自分が、また走る準備を始めた。きっかけはとあるバンドのボーカルの方。失礼になりそうなので、名前は出さないけど。5、6年前位に沢山聴いていて、最近聴いて「やっぱカッコいいなあ」ってなって。けど、そのバンドは色々な事情であまり上手く行っていなくて、ツイッターでも普通の音楽好きのおじさん、みたいになってて。

 

 それで、何でこんな才能ある人が普通の生活してるんだって。それが悪い訳じゃないけど。もっとその歌必要としてる人が沢山いるぞって。

 そう思った時に、宮下奈都先生の「終わらない歌」の1シーンがフラッシュバックした。読み返して、あーやっぱり良いなって思う。ここ5年間くらいで、結構色んな小説読んだけど、やっぱり宮下奈都先生の「よろこびの歌」「終わらない歌」、王城夕紀先生の「青の数学1・2」の4冊が、一番頭に残ってる。

「玲が歌った歌に、あたしたちは魂抜かれたんだよ。あれは幻だったの?それとも、あたしたちはナメられてるの?音大に行ったらもっとすごい人はたくさんいましたって、そんなことどうして平気でいえる?玲の歌は玲が勝手に出来るようなものなの?違うんだよ。玲はあたしたちに責任取らなきゃいけない。歌わなきゃいけないんだ」

 

宮下奈都「終わらない歌」

  他人が歌うかどうかに「責任」なんて、暴論な気もする。本当は、その人の好きにさせればいい。けど、今はすごく良く分かってしまう。やっぱり、自分の持ってるものって、自分だけのものじゃない。

 

 僕が誰かにこういうことを感じてしまうのと同じように、僕に対してそう思ってくれてる人も、多分、いる。誰にでもいる。きっと誰かが、「どうしてあの人は全力でやらないんだろう?」って思ってる。「あの人が全力出したら、私なんて絶対敵わないんだけどな」って。それは苦しいことかもしれないけど、嬉しいことだ。

数学をやり続けることそのものまで、諦めてしまうと?

こんなに苦しいなら、数学を続けることそのものを放棄すると?

そう、思われているのか。

熱い何かは、煮え滾るようなたった一言に、凝縮した。

―――ふざけんな。

 

王城夕紀「青の数学」

  ふざけんな。見返してやろうぜ。誰も見てないかもしれないけど。誰も見てなくても、誰より美しく踊ろう。私たちには、それが出来る。

 そういう訳で、皆、生きるぞ。生きろ。

 

 

 それでは!